ウィスコンシンでは最近はあまり暑くありません。曇り空の日が多いからでしょうか。僕ずっと独りで過ごしていて、友達も皆帰ったので、やる事も無いので、という事で。
学校を選ぶ際、自分が何を求めているのかを確信していないとなりませんね。良い学校とは判断主体の欲望との相関で定義されます。ここを分かっていないと、学校選びに失敗する可能性あるいはもっと良い学校の存在の非認知の可能性が高まります。
僕が確信というときそれは揺るぎない直観です。揺るぎない直観を目指すという事は訂正可能性を出来るだけ排す、具体的には思い込み(訂正される直観)を排すという事です。僕が何故こんな事を言っているのか、皆さんには不思議かもしれません、「自分がしたい事や欲しい物なんて自分に分からない訳ないじゃ~ん」と。
恐らく特定のケースではそんな事がありません。実際に周りしか分っていないケースも存在するかと思います。何故か。
僕自身の内省ですが、僕の精神に於いては無意識の方が強力です。昔は意識と無意識の間に圧倒的な差がありました。そして恐らく皆さんに於いてもそうです。無意識的な作業、それは情報処理や身体的運動の遂行だけでは無く、欲望や思考の検閲にまで及んでいます。自分で気付かずに諦めようと必死になっている欲望、それらは意識的には自覚されていなかったり又は嫌悪されたりします。この精神構造の描写が今日の記事の肝です。
親に反対されそうで、周りに馬鹿にされそうで、試みが大失敗しそうで、傷を負いそうで、貴方はそれを諦めようとしているのかもしれません。認めたくない欲望、欲望に関わってくる嫌な思い出も中にはあるかと思います。しかしそれでもそこを認めていく事は僕個人の経験的には将来的に良い事に繋がるので、嫌悪感に関わらず認識・理解だけでもしていくべきだと思います。自分の生活史を思い出し、欲望の変化ときっかけを反省する事や心理学的な知識を少し見てみる事で恐らく大まかな推測を立てる事が出来、後は実際に信じ出来るなら実装してみて自分の心が満たされるのかどうかを以て確認することが出来ます。こういったプライベートな方法の他にも一般的な心理学的知識を採用してみるのも良いでしょう。個人的には愛着理論はとても有用でした。愛着のタイプは欲望のタイプと深い連関があります。フロイトは僕の理解の根幹にあります。
ここで受験校、進学先の選択の話に戻ります。自分の欲望の確信が良い選択には必須だと記しました。そのステージに本当に立った時には恐らく大学進学というのは数ある選択肢の一つに縮小化されています。その余裕をもって大学を選ぶ、これは固執からの自由を意味し、そしてその理解は進学後も、恐らく人生を跨ぐ長いスパンで確固たる指針として機能するようになるでしょう。ここでまたテーマに戻ってきます。良い選択をするという時二つのアプローチがあります。一つは文字通り選択の際に成功する事、もう一つは自分の選択を後から正解にして行く事。
自分の嫌な物に向き合う勇気、自分の人生を良くしていく覚悟。自己批判精神の獲得はとても大切な事と思います。脱権威というのを題意にした意義は、学校選びに限らず、権威を盲信し力に服従する権威主義でも無く、ただ攻撃的で習慣化した反権威でも無く、権威から自由で理念に即した真の批判精神に在ります。